Web版「歴史の流れ」民族の力と型

9節 ペルシャ(イラン)

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9節 ペルシャ…イラン

総論

第1 総論
ペルシャは高地で平野部が少ない。イスラム教が状況対応制御した。人間の状況対応力養成しなくなり民族、国家は衰退した。
ペルシャは開放地形から多民族国家となり人間を個人対立争い型にした。

自然要因…気候・地形・地質

第1 地質…高地・砂漠・沿岸部に平野
ペルシャは北西部は高地、東部は砂漠、沿岸部(カスピ海、ホルムズ海峡、オマーン湾)が平野である。
第2 気候…多様
高地は寒暖の差が激しい。砂漠地帯は乾燥気候である。カスピ海沿岸部は温暖湿潤である。南部沿岸部は夏は高温湿潤である。
第3 地形…開放地形→個人対立争い型
地形は開放地形である。人間は個人対立争い型になった。

人間要因…状況対応型・状況対応力

第1 状況対応型…個人対立争い型→宗教状況対応型(イスラム教)
  1. 開放地形→個人対立争い型
    開放地形から多民族国家となり個人対立争い型となった。
  2. ゾロアスター教発生
    宗教はゾロアスター教が発生した。ゾロアスター教は自然神信仰(集団依存型の宗教)から宗教状況対応型の宗教への過渡的性格を有している。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教に大きな影響を与えた。
  3. ミトラ教
    ミトラ教(太陽神ミトラ神)があった(自然神信仰)。
  4. 宗教状況対応型…イスラム教
    アラビアで発生したイスラム教を取り入れ宗教状況対応型になった。
第2 状況対応力養成しない←イスラム教
イスラム教は状況対応力養成しない。当初こそ状況対応力養成しなかったキリスト教より栄えたがのちに状況対応力養成したキリスト教に遅れた(中世イスラム繁栄の中心地となったが、近世以降は低迷)。

生産役務要因…生産役務状況対応

第1 農耕→工業
ペルシャは長く農耕であったが工業段階に入った。

大規模集団要因…民族状況対応

第1 多民族国家←民族移動
  1. 多民族国家←民族移動
    遊牧民族アーリア人、アラビア人(アラブ人)、モンゴル人が民族移動し多民族国家となった(イラク人、ペルシャ人、アラビア人、イランの少数民族55%)。
  2. 宗教状況対応型…イスラム教
    多民族国家で個人対立争い型となり、イスラム教取り入れで宗教状況対応型になった。個人対立争い型の要素は残る(親族重視→部族)。
  3. 民族対立争い弱←同一イスラム教
    多民族国家だがイスラム教が流布した。同一宗教から民族対立が弱かった。
  4. 多文化
    イスラム教がイスラム文化をつくった。多民族の文化を集積し多文化となった。

大規模集団要因…国家状況対応

第1 古代…国家状況対応力養成
  1. 国家対立争い状況対応力養成←アーリア遊牧民族
    アーリア遊牧民族は戦争状況対応力があり国家対立争い状況対応力を養成しペルシャ帝国を設定した。
第2 国家状況対応力養成×・強者支配終了×←状況対応力養成しない
国家は早くから発生したが、国家状況対応力養成(強国化・富国化)、強者支配終了化(自由民主化)が進まない。状況対応力養成しなくなったからである。

時代

第1 ペルシャ民族が国家国土取り込み…アケメネス朝
遊牧民族ペルシャ人(アーリア人、イラン人)が中央アジアから民族移動しイラン高原を国家国土取り込み(侵入)ペルシャ国家を設定した(8章国家国土取り込み)。
第2 マケドニアが国家国土取り込み…マケドニア帝国・アレキサンダー大王
マケドニア(ギリシャ北部)がメソポタミアを国家国土取り込みした(マケドニア帝国、8章国家国土取り込み)。
第3 ペルシャ民族が国家国土取り込み…パルティア・ササン朝
マケドニア帝国終了後ペルシャ人がパルティア朝、ササン朝ペルシャを設定した。
第4 イスラム民族が国家国土取り込み…ウマイヤ朝・アッバース朝
イスラム民族(アラブ人)が国家国土取り込みした(8章国家国土取り込み)。イスラム民族の大規模国家国土取り込みの一範囲となった。イスラム教が流布した。国家同士商業が盛んとなった(バグダッド)。
第5 トルコ民族が国家国土取り込み…セルジュークトルコ
遊牧民族トルコ人が国家国土取り込みした(8章国家国土取り込み)。トルコ民族の大規模国家国土取り込みの一範囲となった。
第6 モンゴル民族が国家国土取り込み…イルハン・ティムール
遊牧民族モンゴル人が国家国土取り込みした(8章国家国土取り込み)。モンゴル民族の大規模国家国土取り込みの一範囲となった。
第7 ペルシャ…イラン
  1. オスマントルコの国家国土取り込み免れる
    オスマントルコの国家国土取り込み免れた。
  2. パーレビ政権・モサデク政権・パーレビ政権復活・ホメイニ政権
    1. パーレビ政権・モサデク政権・パーレビ政権復活・ホメイニ政権
      1925パーレビ政権、1951モサデク政権、1953パーレビ政権復活、ホメイニ政権を設定した。
    2. パーレビ皇帝…国家状況対応力養成→西アジアの日本たれ
      パーレビ皇帝は国家状況対応力養成(人間状況対応力養成・教育、国家生産役務状況対応力養成・工業化)はかった(西アジアの日本たれ)。
    3. ホメイニ…国家宗教状況対応復活し強者支配開始
      1. ホメイニ…国家宗教状況対応復活し強者支配開始
        ホメイニは国家宗教状況対応を復活し強者支配を開始した(7章国家宗教状況対応)。
      2. イスラムモスクは小作農民からの巨利で成り立つ…他勢力を全員殺害
        イスラムモスクは小作農民からの巨利で成り立っているからを共和勢力(一族支配×)、軍隊幹部など他勢力を全員殺害した。
  3. 国名変更
    国名をペルシャからイラン(アーリア人の国、イラン高原)に変更した。
  4. 国家対立・民族対立…親日・反米
    1. 親日
      親日である(日本は国家国土取り込みさせない→パーレビ皇帝はアジアの西の日本たれ・ホメイニの親衛隊はイラク戦争で日本の鉢巻)。
    2. 反米
      反米である(強者支配終了国家〈モサデク政権〉をアメリカが倒しパーレビ政権樹立→イランホメイニ革命→アメリカ大使館占拠)。

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