10節 アラビア半島
総論
- 第1 総論
- アラビア半島は砂漠で乾燥気候である。流通要衝地であるから古代から国債流通業(貿易)となった。ムハマンドがイスラム教を創始し宗教状況対応型になった。乾燥気候とイスラム教が状況対応を制御した。人間は状況対応力養成しなくなり民族、国家は衰退した。
自然要因…気候・地形・地質
- 第1 地質…砂漠→農耕×
- 砂漠で農耕は困難である。
- 第2 気候…砂漠→乾燥→状況対応制御
- 砂漠で乾燥気候である。乾燥気候は状況対応を制御した。状況対応力養成しなくなり民族、国家は停滞した。
- 第3 地形…開放地形
- 地形は巨大な半島でメソポタミアともつなかり陸続きでどの地域とも交通可能な開放地形である。
人間要因…状況対応力・状況対応型
- 第1 状況対応型…宗教状況対応型(イスラム教)
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- 宗教状況対応型…個人対立争い型→宗教状況対応型
- 開放地形から多民族国家となり個人対立争い型となった。
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- イスラム教発生
- 6世紀にイスラム教が発生し宗教状況対応型になった。メソポタミア、エジプト、地中海東岸に流布した。さらに地中海南部、アフリカ、中央アジア、インド北部、東南アジア、バルカン半島にも流布した。
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- 第2 状況対応力養成しない
- イスラム教は状況対応力養成しない。そのため当初こそ状況対応力養成しなかったキリスト教より発展したがのちに状況対応力養成したキリスト教に遅れた(中世イスラム繁栄の中心地となったが、近世以降は低迷)。
生産役務要因…生産役務状況対応
- 第1 農耕牧畜
- 一部で灌漑農耕が行われた。
- 第2 国家同士流通業(貿易)…流通要衝地
- ヨーロッパとアジアを中継する流通要衝地である(メッカ、バグダッド)。古代から国家同士流通業(貿易)が盛んである(8章国家国土取り込み・イスラム帝国)。
大規模集団要因…民族状況対応
- 第1 ユダヤ民族民族移動
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- ユダヤ民族民族移動
- ローマ帝国支配からユダヤ人が民族移動してきた。
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- 遊牧民族→人間同士無関係
- 遊牧民族であるから人間同士無関係である。家族状況対応はできる、親族状況対応は血縁で関係設定しやすい(9章遊牧民族、親族重視→部族)。
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- イスラム教発生→宗教状況対応型
- イスラム教発生で宗教状況対応になった。
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- 民族対立争い弱い←同一イスラム教
- 同一宗教から民族対立が弱い(8章国家国土取り込み・イスラム帝国)。
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- 多文化
- イスラム教がイスラム文化をつくった。多民族の文化を集積し多文化となった。
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大規模集団要因…国家状況対応
- 第1 イスラム帝国
- 国家国土取り込みでイスラム帝国を設定した(ウマイヤ朝、アッパース朝、8章国家国土取り込み・イスラム帝国)。
時代
- 第1 イスラム教発生
- 6世紀に中継都市メッカで発生した。
- 第2 イスラム軍がアラビア半島を統一…国家を設定
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- イスラム軍がアラビア半島を統一…国家を設定
- 7世紀にイスラム軍がアラビア半島を統一し国家を設定した。
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- ウマイヤ朝・アイユーブ朝・マルムーク朝
- ウマイヤ朝、アイユーブ朝、マルムーク朝がおきた。
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- 第3 トルコ民族が国家国土取り込み…セルジュークトルコ
- 16世紀にセルジュークトルコが国家国土取り込みした(保護領、8章国家国土取り込み)。
- 第4 サウジアラビア王国
- 20世紀にサウジアラビア王国が設定された。
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